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足利事件と裁判員制度

足利事件で無期懲役が確定していた菅家さんが釈放された。唯一ともいえる証拠のDNA鑑定が誤りだった。
 
 もし当時、裁判員制度が実施されていて、その裁判員だった人のことを思うと戦慄を覚える。
 
 菅家さんは、警察や検察を絶対許さないと言っている。しかし刑を確定したのは裁判官である。にもかかわらず裁判官を恨んではいない。何故か。裁判官は特別に選ばれた人で神の代わりに人を裁く者だと信じているからだろう。「嘘は見抜いてくれると信じていた。(だから嘘の自白をした)」とも言っていた。
 
 これが一般の人が裁判に参加しての判決ではそうはいかない。自分と同じ人間に、間違った証拠で有罪判決を言い渡されたら、その裁判員を絶対に許さないと言うだろう。
 
 皆が参加して裁く。一見大変民主的に感じられるが、これを小さなグループに置き換えればリンチである。感情で裁くからである。裁判員制度もそうなってしまうだろう。
 
 一般常識の無い裁判官を補うために一般人を参加させる裁判員制度。一般常識って往々にして感情である。

 

— 記述 m-tezuka at 09:43 pm   pingトラックバック [0]

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