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[ カテゴリー » 新聞拾い読み ]

場当たり発言の鳩山首相

 鳩山首相は、COP15でクリントン米国務長官に対し、普天間問題で結論を先送りするとの鳩山政権の方針を説明し「十分理解いただいた」と、国民に説明していた。
 
 そんなことは無いだろうと思っていたら案の定、昨日の新聞に、駐米大使がクリントン国務長官に呼び出されて「日米合意に基づき辺野古への移設計画を早期に実現するよう」改めて求められた。これはCOP15での首相の説明を了承していないことを示すものである。と書いてあった。
 
 これに対して首相は、テレビで何か言い訳をしていたが、あきれて忘れてしまった。日米同盟が重要だとか何とかいっていたようだ。
 
 オバマ大統領への「トラストミー」や今回の発言。その場その場で相手に取り入る発言というか自分をよく見せようとする発言で鳩山首相と会談したいという外国の要人は居なくなった。ということは日本の外交はどうなるのだ。やはり官僚に任せないと出来ないのではないか。

— 記述 m-tezuka at 03:56 pm   pingトラックバック [0]

都議選の投票率

昨日の都議選の結果「民主圧勝」を報道している今朝の新聞を見ていて、日本の政治家は2流だといまさらながらに感した。
 
読売新聞今朝の朝刊の1面左隅の記事
投票率上昇54.49%
自民党都連幹部は「想定以上に高く、自民党に不利な結果となった」と厳しい表情で分析した。
確かにその通りであるが、そんなことを口にしてはいけない。
「都民の半分しか参加していない選挙では民主主義が行われたとはいえない。」と嘆くべきではないのか。
利益誘導型の政治では利益を受けない人々の参加は不利になるからそんな発言になってしまう。
 
 選挙は民主主義の基本だから投票率が75%以上であるべきだ。国民が政治に関心を持つように各政治家が努力すべきである。

— 記述 m-tezuka at 09:48 pm   pingトラックバック [0]

官僚を使いこなす

今日の新聞の週刊誌の広告の中に
「厚労省の女傑逮捕」で蠢く「政治家と検察」権力の亡者たち
のタイトルに引き続き
「石井一」の名前をリーク。これは民主党大攻勢を封じるための麻生首相“最後の悪あがき”か
と書いてある。
 
麻生首相が「官僚は使いこなさなければならない」と言っていたのはこのことだったのか。

— 記述 m-tezuka at 03:49 pm   pingトラックバック [0]

胡散臭い読売新聞

17日の読売新聞の社説。
 
タイトルには「日本郵政人事で誤断したツケ」とある。
 
中を読んでいくと、
問題の本質は、日本郵政とりわけ西川社長の経営責任にあるからである。
 保養宿泊施設「かんぽの宿」売却問題はもとより、簡易生命保険の保険金不払い、障害者団体向け郵便料金割引制度を悪用した事件などが相次いでいる。
 なぜ、国民の共有財産といえる施設が二束三文で売られようとしたのか。
これって鳩山邦夫氏が言っていたことをそのまま書いただけだよ。
 
 新聞はもっと本質を突いて欲しい。二束三文にしかならない「かんぽの宿」を作った責任は誰にあるのか。それは郵政大臣だよ。(現在は総務大臣。あれつい先日まで鳩山邦夫氏だ!):E
 
 え!まさか。鳩山邦夫氏は読売新聞の渡辺某に操られていたの?

— 記述 m-tezuka at 03:30 pm   pingトラックバック [0]

裁判員制度は時代遅れか

今日の読売新聞朝刊に「欧州では縮小傾向」の見出し。
 
 これは「裁判への国民参加 各国は」と言う記事の見出しである。さらに「量刑にブレ 多い辞退者」、「米、陪審コンサル盛況」など。

一部を引用する
西欧全体で見ると、陪審・参審制度は縮小傾向にある。陪審や参審の人数確保といった制度運用上の難しさに加え、司法専門家の裁きに比べて量刑判断のブレが目立つなど、マイナス要因が浮上してきたからだ。
英国政府は、暴力犯罪以外で審理が長期にわたる裁判や、テロなど治安にかかわる事件は陪審制の適用を除外する方向で手続きを進めている。審理の迅速化、経費削減に加え、誤審のリスクを減らすためだ。
「訴訟社会」米国では、裁判を左右する陪審に対し、あの手この手で戦略を練る「陪審ビジネス」が活発化している。「弁護士や検事は法律や証拠に基づいて判断しますが、陪審員は独自の感覚で判断します。だから我々の助言が必要なのです。」

 裁判員制度は西洋の考え方を真似しようとしたものである。それは西洋が進んでいる。東洋が遅れている。と単純に思い込んでしまっている人が多いからである。
 西洋と東洋の違いは、狩猟文化と農耕文化の違いでしかない。どちらが進んでいるというものでもない。彼らは一人で狩猟するのに対して我らは皆で耕す。その違いなのだ。
 
 彼らは他人との競争を余儀なくされている。我らは自然との共存が必要である。彼らは法を自分達で作らざるを得ない。我らは法は天から与えられる。彼らは自分達で裁かなければならない。我らは神が裁いてくれる。
 
 すなわち、日本人には神の代理人である裁判官という一般常識を持たない人々によって裁かれることで、ある種のあきらめによって判決を受け入れることが出来るのである。これが自分達で裁くとなれば一種のリンチであり恨みが生じて浮かばれない人々が出てくるよ。そんな反省が西欧で出てきているのではないか。

— 記述 m-tezuka at 10:14 pm   pingトラックバック [0]

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